(写真:アフロ)
(写真:アフロ)

 7月22日にスマホ向けゲームアプリ「ポケモンGO」が配信されて、世の中の風景は一変した。

 と、書くとやや大仰なようではあるが、駅で「歩きスマホ」の危険を訴える放送が流れたり、出現の珍しいポケモンが捕獲できるという噂の広まった公園にユーザーが大挙して押し寄せたりと、7月22日以前には見られなかった光景が見られるようになったのは確かだ。

 これが一過性の過熱なのか、時代が一変した瞬間なのかはにわかに断じることはできないが、一種の「社会現象」と言っていい規模であることは間違いないだろう。ゲームの動向には関心がなかった企業やビジネスパーソンも無縁ではいられなくなるかもしれない。本稿では、「ポケモンGO」がもたらすであろう様々な経済効果――ポケモノミクスをどう読み解けばいいのか、ゲームをプレーせずとも「これだけは知っておきたい」そのポイントを3つお届けしたい。

ポイント1:ポケモンGOは「動かすもの」を逆転させた

 このゲームの最大の特徴であり強みは「人間を動かす」ことだ。

 ポケモンGOを起動すると、ユーザーが実際に立っている現在地の、現実の地形を描いた地図が表示される。ユーザーが動くと地図も動く。要は、カーナビやスマホの地図アプリと同じで、常に自分を中心とした地図が更新されていく。

 歩いて地図を進めていくと、ポケットモンスター(ポケモン)が現れる。このモンスターを捕獲し、育成して強化するのがこのゲームの目的だ。

 出現するポケモンは、エリアによって異なる。多くの種類のポケモンを獲得しようとすれば、ユーザー自身が移動するしかない。希少性の高いポケモンを得るためには、ユーザーはそのポイントまで動く必要がある。例えば東京の新宿御苑にユーザーが大挙して押しかけたのは、ここに「ピカチュウ」というポケモンが出現するとインターネットを通じて噂が広がったためだ。

 また、地図上に「ポケストップ」と呼ばれるスポットが表示されている。ユーザーがそのスポットに近づくと、ゲームを有利に進めるためのアイテムを獲得することができる。「タマゴ」というアイテムを持っていれば、一定の距離を歩くことで孵化させて新たなポケモンを得ることもできる。

 ポケモンGOには、ユーザーが「動く」ことに対するインセンティブが周到に用意されているのだ。

 このインセンティブに突き動かされるようにスマホ片手に町を歩くユーザーを「ゾンビのようだ」と揶揄する向きもあるが、是非は置くとして、この「人を動かせる」という強みは、企業のマーケティングにも影響を及ぼす可能性がある。

 かつてマーケティングの基本は「人を動かす」ことにあった。新聞のチラシやテレビCMが、小売店の特売、イベントに関する情報や、メーカーの新商品に関する情報を掲載するのは、消費者が店舗に足を運ぶことを促すためだ。これが変化したのはインターネットが普及して以降のことだろう。メーカーや小売店が動かすものは「人」から「モノ」へと移った。商品が消費者の手元に届くラストワンマイルを消費者自身が運ぶのが旧来の「リアル消費」だとすれば、それを提供者側が運ぶのが「ネット消費」だ。消費者は動く必要がなくなった。「動く必要がない」という利便性がネットの武器だった。

 ところがポケモンGOは、インターネットとスマホというインフラを使いながらこの発想を再度逆転させた。ユーザーはスマホを介してインターネットに繋がりながら、自身が動かなければゲームを進めることができない。

 これをリアル店舗のマーケティングに活用しようという動きがすでに見られる。

 7月22日以降、「こちらポケストップです」「休憩しながらポケモンを捕獲できます」などのメッセージを掲げる飲食店が現れた。また、ユーザーは「ルアーモジュール」と呼ばれるアイテムを使うことで、一定時間、特定のポケストップにポケモンを呼び集めることもできる。「これから30分間、ルアーを使ってポケモンを集めます」などと告知することで集客を試みる飲食店も見られた。

 企業同士の提携も始まっている。

 本誌が配信した記事「「ポケモンGO」をマクドナルドFCが喜ぶある事情」でも触れているように、日本マクドナルドの店舗がポケモンGOの「ポケストップ」などに設定された。ポケモンGOは、米ナイアンティックと任天堂の関連会社であるポケモンが共同開発・運営している。この2社と日本マクドナルド・ホールディングスの提携によるものだ。

 ポケモンGOのユーザーは、アイテムやポケモンを求めて町を歩き、マクドナルドの店舗に集まる。のどが渇いていれば飲み物を買うかもしれない。空腹であればハンバーガーを買うかもしれない。疲れていれば休みたくもなるだろう。元気いっぱいで満腹でも、少なくともマクドナルドの店舗に掲げられている新商品の告知は目にすることになる。

 日本マクドナルド・ホールディングスの広報担当は「すべての店舗というわけではないが、ポケモンGOの配信以来、複数の店舗で通常よりも多くのお客様にご来店いただいている」と「集客効果」を認める。3社の提携については「契約内容について回答できない」とのことだが、このマーケティング上の効果を得るために、日本マクドナルド・ホールディングスから宣伝広告費のようなかたちでの協賛が開発会社2社にもたらされたと考えるべきだろう。ナイアンティックは、こうした「場所」に対してスポンサーを付ける広告商品を「スポンサード・ロケーション」と呼んでいる。

 ポケモンGOの流行が定着すれば、通行量を前提にした「立地」の考え方も一部で覆る可能性がある。駅前や角地が商売上の一等地であったように、希少性の高いポケモンの巣に近いということが商売を有利にする可能性も出てくるだろう。

 「人を動かさない」で「モノを動かす」マーケティングから、「人を動かす」ことによって消費を促そうというマーケティングへ。この懐かしき発想の逆転が、鮮やかに消費者の心をつかんでいる。

ポイント2:ポケモンGOはIPでキャズムを超えた

 ポケモンGOはゼロから生み出されたゲームではない。開発の元となったのはナイアンティックが開発・運営する「イングレス」だ。ポケモンGOと同じく、現実の地図のうえに仮想の世界を描き、ユーザー自身が「動く」ことに対するインセンティブを用意する。

 ポケモンGOでは、現実の建造物などが写真つきでポケストップに登録されているが、これは先行してサービス提供していたイングレスのものを流用している。イングレスでは、条件を満たしたユーザーがスポットを登録することができる。数年間で蓄積されたスポットデータが全国にあるからこそ、ポケモンGOは、サービス開始当初から、数多くのポケストップを用意できた。

 右がポケモンGOでのポケストップ、左がイングレスでのスポット。同じ写真が利用されていることがお分かりいただけるだろう。

 つまり、ポケモンGOはイングレスの技術をベースにカスタマイズされたゲームなのだ。

 ではイングレスとポケモンGOの違いは何なのか。ポケモンという「IP(知的財産)」の有無だ。

 イングレスは熱狂的なファンやボランティアに支えられたゲームだ。「イングレスによって外に出るようになって引きこもりが治った」と、いまポケモンGOで報じられているようなこともすでに言われていたし、日本マクドナルドがナイアンテックと交わしたスポンサード・ロケーションの提携も、イングレスではローソンがすでに交わしていた。

 だがポケモンGOのようにはユーザーの裾野は広がらなかった。イングレスでは超えられなかったキャズム(市場に普及するまでの大きな溝)を、技術的な基盤を共有するにも関わらずポケモンGOは易々と超えてしまったのだ。その差を生み出したのが任天堂が関連会社を通じて抱えるIP――100種を超えるかわいらしいポケモンの存在だったと言えるだろう。

 2015年3月、任天堂の故・岩田聡前社長は、スマホゲームの開発に着手したタイミングで本誌・井上理記者のインタビューに応じている。このインタビューで語っているのは任天堂とDeNAとの提携についてだが、岩田前社長のスマホゲームやIPに対する考え方がよく理解できるので引こう。

我々はこの30年間、IPによる収益を短期的に最大化させるというより、傷を付けずに育てていくことを丁寧にやってきました。幸運にも恵まれ、自分たちの努力が合わさった結果、IPの価値を積み上げ、維持できている自負があります。そのおかげで、任天堂IPのライブラリーは世界一豊富だと言っていただけているわけです。

任天堂・岩田聡社長激白、「時が来た」-DeNAとの業務・資本提携に至ったすべて(前編)

 2015年11月、任天堂が新商品「Miitomo(ミートモ)」を発表し、その内容について市場やメディアが失望感を示したことを受けて、井上記者は「任天堂、復活の狼煙 「主役」はまだ温存 後ろに控えるマリオ・ポケモン」という記事も執筆している。見出しにあるように、ミートモが任天堂のスマホ戦略における第一歩に過ぎず、IPという強力な武器を備えた「次」が出てくることを予測した記事だ。

 インターネット、全地球測位システム(GPS)、AR(拡張現実)などの既存技術を飛躍させ、キャズムを超えさせたのはIPだった。「ただのキャラクタービジネスではないか」と笑うことはたやすい。だが、既存技術の組み合わせにデザインと世界観を与えることで生み出されたiPhoneの巨大市場を思い起こしてほしい。キャズムを超えるうえでデザインやIPの持つ意味の大きさを思わずにはいられないはずだ。

ポイント3:ポケモンGOの課金に射幸性はない

 ポケモンGOの運営会社は販売と広告、両輪の収益を得ている。ユーザーが必要に応じてアイテムを購入する代金、すなわち販売収入と、スポンサー企業からの広告収入だ。後者は上記の通り。前者の販売収入をもたらすユーザー課金の仕組みは非常にシンプルなものになっている。

 ユーザーは「ポケコイン」と呼ばれるゲーム内通貨を購入する。100ポケコインは120円、2500ポケコインは2400円。最大1万4500ポケコインを1万1800円で購入できる。アップルのiTunes StoreとGoogle Play経由で決済される。このポケコインを消費することで、ポケモンを呼び集めることができる「ルアーモジュール」やポケモンを捕獲する際に使う「モンスターボール」などのアイテムを獲得できる。

 ポケコインで獲得できるほとんどのアイテムは、よく「歩く」ことでも無料で得られるものばかりだ。利用料を払わなければできないことはほとんどない。

 何より特質すべきは、一般に「ガチャ」と呼ばれる、一定の確率で出るキャラクターやカードを獲得するための「くじ」の要素がこのゲームにはまるでないことだろう。

 人気を集めて売り上げを上げる多くのスマホゲームは、希少性を高く設定したキャラクターをコレクションさせようとユーザーを煽る。これらのゲームでは無料で「ガチャ」を引くこともできるが、当選の確率は低く設定されているため、求めるキャラクターを手に入れるためにはガチャを引き続けなければならず、無料分のガチャ権を消費してしまったら代金を払わねばならない。いわゆる射幸心を狙った課金の仕組みを取っており、一部の熱狂的なユーザーが高額課金され、その売り上げが事業を支えるという構図になっている。

 しかしポケモンGOでは、現状の仕組みでは、どれだけ高額の代金を支払っても希少性の高いポケモンを入手する可能性はほぼ上がらない。希少なポケモンを入手するためには、出現情報を手に入れてその場所に足を運ぶしかない。

 ポケモンGOの課金に射幸性がないその背景には、任天堂の「ゲーム」というものに対する考え方があるようだ。岩田前社長の没後に井上記者がその死を悼んだ記事の中でこう述べている。

任天堂ほどの企業であれば、携帯電話やスマホ向けのゲームを作ることなど造作もない。「マリオ」や「ポケモン」といった今でも世界の子どもたちに愛されている知的財産も豊富に持ち合わせている。例えば、ソーシャルゲームが華やかなりし頃、ポケモンのカードバトルゲームを作れば、相当な収益になったはずだ。しかし、任天堂はそれをしなかった。あらゆる意味で任天堂の伝統に反するからだ。…(中略)…何よりあの時、任天堂がソーシャルゲームに与していたら、きっと子どもたちの笑顔を守ってきた伝統に背く結果となっただろう。

任天堂・岩田さんが遺した本当の功績

 スマホというデバイスでユーザーはマネー以外の3つの資源を消費している。限られた「時間」と、電池容量に依存する「電源」、通信キャリアに制限される「通信容量」だ。ポケモンGOは動画のやり取りなどをするアプリケーションではないため、通信容量を大きく消費することはない。だが、ポケモンGOに没入するユーザーは、時間と電源を大きく費やすことになる。もしポケモンGOが一過性のブームではなく日本市場に定着したとしたら、これまで射幸心を煽った課金で大きな利益を生んでいたゲーム企業は、時間と電源の2点においてポケモンGOにスマホを占有されることで、アクティブなユーザーを失っていく可能性があるだろう。

トラブルや批判もあるが…

 ポケモンGOでは、神社仏閣や史跡、閑静な住宅地の真ん中にあるモニュメントなどがしばしばスポットに指定されている。ここに集まる希少なポケモンを獲得するためにユーザーが大挙して集まり、信仰の場や生活の場が乱されるといった批判がある。現に「ポケモンGO禁止」を宣言した有名神社も出た。

 現実の地図を下敷きにしながら、また住民の精神的な支えや拠り所、信仰対象になっている象徴的な場所をスポットとしながら、それら現実のコンテクスト(文脈)とはまったく無関係の「ポケモンの狩場」という仮想の現実を被せてしまうこのゲームに対して、そうした批判が集まることは理解できる。地域の反対があれば、スポット登録をとりやめるなどの対応が運営会社に求められることになるだろう。

 ただ、没入できる新世代のコンテンツは常にそうした批判にさらされて来たはずだ。お茶の間で「家族のコンテクスト」でしか会話がなかった時代に、その時と場所に、ラジオやテレビによって別のコンテクストがもたらされた時。固定電話しかなかった時代に、携帯電話が普及し始めて、町を歩くひとたちがその町のコンテクストと無関係な会話を始めた時。その変化に人は戸惑ったはずだ。それでも社会はマナーやルールを形成し、新たなものを織り込んでいく。その先にある新たな市場を信じて準備し得た者だけが、その果実をいち早く得ることができる。

 ポケモンGOがそれだけの存在なのか、と問われれば、是と応える根拠はない。ただ現実に、上記に3つのポイントを挙げたような特異なサービスが国境を越えて人々を突き動かし、夢遊病者のように没入する老若男女が町に溢れた。「ゲームには関心がない」と目を背けていては、時代の潮目や商機を見落としてしまうかもしれない。

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