きのうきょう

延命治療

 横浜市泉区 西方恵里子 59 主婦

 私の母は平成24年6月に89歳で旅立った。入院する前日まで畑で野菜や花を作って、「道の駅」に出荷していた。元気だったから、近所の人たちは入院したことをとても驚いていた。

 母は85歳を過ぎたころから「自分にもしものときが来ても延命治療はしないでほしい」と言いはじめた。入院した際も先生に「この年まで生きられたので、見守って、送ってください」と延命治療を断っていた。先生は「分かりました。施設を紹介しますから、娘さんと楽しく生活してください」と母に言ってくれた。先生が涙を流しながら、そう言ってくれた様子を、今でもはっきりと覚えている。

 母が他界したのは、それから2カ月後のことだった。私たち家族や施設のスタッフの人たち10人に見守られ、旅立った。「ありがとう」。そう言葉を残してくれた。私は「それでよかったのか」と考えることが今でもある。お母さん、それでよかったんだよね?

会員限定記事会員サービス詳細