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一歩ずつ来た道だからお別れを言い終わるのに時間がかかる

ツイッターに連投した長文をまとめます。伏線的な文章はこちら。


きのう6月6日、2013年春から2年以上お世話になっていた事務所SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)を離れました。トリオ「詩人歌人と植田マコト」として活動してきた相方の詩人(本田まさゆき)と植田マコトさんは二人でコンビとしてSMAに残ります。私の生活上の事情によるものです。

もともと「有名なんだけど食えてない歌人」として書く仕事などをしながら、44歳のとき急にお笑い芸人をめざし始めました。この2年間は夢のようでした。いい夢だったのかどうかは別にして私は元気だったと思います。比較的若く見られるので年齢を言うと苦笑されますが、今年9月で47歳になります。

書く仕事の職業病なのかもしれませんが腰痛がひどくて、まあ昔からですが風邪がいつまでも治らない状態が続いたりして、46歳だし基本こんな感じなんだと思います。今年に入ってからトリオ活動が本格的にスタートし、ひと月に23ステージとかやっていて、体力の限界を感じずにはいられませんでした。

「売れてない芸人」の活動は筆舌に尽くせないほど過酷です。詳しくは事務所の先輩芸人が書いた『芸人生活』をご一読ください。時間がないと愚痴る私に「井上二郎さんはライブとバイトの合間に漫画をかいたじゃないか」と言われて泣いた日もあります。

比喩でなく、公園で号泣したのでした。芸歴15年目の先輩で、私より10歳若い植田マコトさんは、信じられない柔軟性でフォローしてくださっていましたが、もうこれ以上、若い二人(詩人は植田さんと同い年)の活動の足をひっぱれないと思いました。

事務所を離れても出られるお笑いのステージはあるし、トリオとしての活動は課外活動的に続けようと植田さんと詩人は言ってくれていますが、今はまず体調を整えることと、2年以上も先のばしにしてきた「本を書く仕事」を優先します。植田さんと詩人の新コンビのネタ、見せてもらいましたが大好きです。

SMAに入ってすぐ、飲み会で先輩芸人の松本りんすさん(「だーりんず」)に「ほかの世界を持ってる人はいいな。俺たちにはこれ(お笑い)しかないから」と言われて、当時は本をもう書きたくないと思っていたので「ちがうんですけど」と思っていたけれど、結果的に松本さんのおっしゃるとおりでした。

トリオになって今まさにこれから、と思っていたので正直とても未練があります。単独ライブの映像も杉田協士監督が編集してくださっている最中でした。新しい衣装のTシャツもプリントをお願いしたばかりでした。着るチャンス、また、あるでしょうか。

事務所SMAをやめた日の夜、さるフェスを映像で振り返るパーティがありました。詩人歌人と植田マコトのネタ上映後、拍手喝采でした。きょう事務所をやめてきたと、応援してくださっていた河井克夫さんや宮崎吐夢さんには最後まで言えませんでした。

しりあがり寿さんには、またこのようなライブがあったらトリオで呼んでやってくださいとお願いしました。古田敦也さんの殿堂入りを祝う会など、詩人歌人と植田マコトが「添える花」になれるような場があれば、また声をかけていただければと思います。

(電池が切れるのでいったん閉じます)(「まだ続くのかよ!」というツッコミの声を空耳で浴びながら)

私は結局「高校国語教科書に短歌が載っている有名な歌人」という現実を利用したネタしかやりませんでした。最初は事務所で「枡野浩一」という名前を伏せるつもりでしたが、そうも行かなくて。ハリウッド寄席で「結局、芸人なの? 歌人なの?」と質問されて「歌人」と答えたのはボケではなく本心です。

お笑いのステージに立てば立つほど、その「高校国語教科書に短歌が載っている有名な歌人」という現実の部分を、大切にしなくてはならないと考えるようになりました。「短歌研究」に発表した短歌は現実を担保にすることだけに一点集中した連作です。

「お笑いで短歌をより広めたい」という不純な動機でお笑いに関わってきたのは私だけで、植田さんは全身芸人ですし、詩人もじつは故・村田渚さん司会のお笑いライブに出て渚さんに叱られたことがあるほど「芸歴」は長いのです(詩人歌人というコンビを組んで半年ほど経ってから知らされた衝撃の事実)。

「わかりやす過ぎる」と言われがちな私の短歌も、ステージで朗読して通じることは稀で、すべるだけならまだしも「どういう意味?」と質問されてしまう毎日。かといって朗読して笑いがとれた短歌が自信作かといえば、そうでもなくて。「短歌とお笑いの重なり合う部分」は、ミリ単位なのかもしれません。

そんなミリ単位の「短歌とお笑いの重なり合う部分」をさぐりたいという私の無茶な欲望に寄り添って、毎回ステージで爆笑を生んできた植田マコトさんの力量には唖然とするばかりです。台本の元になる部分は基本ばかみたいな詩人が担当してきました。陳謝し感謝します。これからもよろしくお願いします。

そのくせ「お笑い」を趣味でなく「仕事」にしたいと真剣に考えてきたから、雑誌に出るとき「歌人・芸人」という肩書にしたこともあります。歌人としてテレビに出るときは芸人活動の話をすべての語尾にいれても、見事に全カットされます。私は今後も未練がましくお笑いのステージに立つかもしれません。

でも今後は「歌人」とだけ名のることにします。歌人も旅人のような肩書で、旅が終わったらただの人に戻るのですが。私は芸人になりたいというより先に、SMAという場に混じりたいという気持ちがありました。挫折を隠し持つソニー芸人が大好きです。

SMAに入る前は、死のうと思っていました。SMAをやめた日、飲めない酒をちびちび飲んでパーティ会場で寝てしまったくらい凹みましたが、死のうとは思わず、生きようと思いました。そもそも余命もそれほど長くない可能性はありますが。生きます。

先日、「トリオになって明らかに面白くなったけど枡野さんの本当にやりたいことは少しちがうんでは?」と、ぷよぷよのゲームデザイナー米光一成さんに言われて黙ってしまった。年末、R-1ぐらんぷりの予選会場で私を見ても怖がらないでください。

(たくさんのリプライやDMありがとうございます)(全員にお返事できてなくてすみません)(今後の人生がお返事になるよう精進します)(ご挨拶もできていない先輩方が大勢いますが体調の様子をみてライブに伺おうと思っております)

(大勢の方に支えられて生きていることを実感します)(お金を払ってチケットを買って変な場所にあるライブ会場に足を運んでくださった方ひとりひとりの顔が目に浮かびます)(ありがとうございました)(またお目にかかれますように)


【近況】事務所SMAで出演予定だったライブ、以降は植田さんと詩人の新コンビ「すっきりソング」が出演します。予約承り済みだった6/20(土)のみトリオ「詩人歌人と植田マコト」で出演します。あと6/10(水)深夜、加藤千恵さんの番組に私が生出演し、傑作漫画『芸人生活』を紹介します。


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