制作した動画”また夢を見る”についてのメイキングや雑感などです。
①動画を作るにあたって
本作は「プロジェクトゆめにっき」の一環として発売された小説版ゆめにっき「ゆめにっき あなたの夢に私はいない」(以下、「小説版」)の一部分を引用し映像を付けたものになります。
動画を作るきっかけとしては、文字を読ませる作品を作ってみたかったためです。これまでの作品はほぼ音楽ありきで作ってきました。いわばPVのように、音楽との同期と親和性をメインにしてきました。だからこそ、物語性のある映画のような作風に挑戦してみたかった。そこで文章をメインとした作品に挑戦してみました。とは言え自分で文章を考えるのは困難だったため、なにかゆめにっきに親和性のあるストーリーを探していたところ、まさに小説版ゆめにっきがあることを思い出し、もう一度最初から読み直して映像のイメージが湧いた部分、そしてネタバレになりにくい部分で制作を試みました。(同じ流れは以前制作した”夢十夜”でもありましたが、これはPV風の表現になっています)
②映像について
文字の表示時間、漫画風の表現など慣れないことが多く、さらには仮制作段階では15分という長尺になってしまったこともあり、「いかに削ぎ落すか」を念頭に入れていました。あくまで文章を読ませる作品のため、背景はうるさすぎないもの、だけどストーリーを引き立てるものが求められました。最終的に6分程度まで短くすることができ、文書を引き立てる演出もできた気がします。彩度を落とし、明暗によって登場人物の心証を表現できるように試みました。
③小説版ゆめにっきについて
今まで小説版について語る機会がなかったので、ここに置いていこうと思います。
小説版が発売されたのは2013年。今では見る影もない「プロジェクトゆめにっき」の三大コンテンツのひとつとして鳴り物入りで登場しました。著者は「狂乱家族日記」の日日日氏。僕は氏のデビュー作「ちーちゃんは悠久の向こう」を読んだことがあり、期待とともに不安を持ちながら小説版を読んだことを覚えています。
作品の評価はともあれ、僕はゆめにっきを小説化することに対して非常に懐疑的ではありました。理由は単純で、僕はゆめにっきの魅力の一つとして「文字情報がないこと」を挙げていたためです。
ゲームを進めていくうえで文字を必要としない(ゲームの説明やエフェクト名などは除く)。これはゆめにっきの最たる魅力的な部分だと思っています。ストーリーの進行に説明がなく、会話もない。すべての解釈をプレイヤーにゆだねる方式はとても斬新に感じました。この方式があったからこそ、派生作品という特異な二次創作も発展したのだと思っています。
そんな魅力とは対照的な位置にあるのが小説版です。文字を使い、言葉で相手に伝えるのが小説です。言葉を必要としない本家とはまさに正反対の性質です。だから不安でした。自分の考えるゆめにっきの良さと真っ向から対立する表現方法で、本当に大丈夫なのか、と。
いざ読んでみるとその心配は杞憂でした。流石はプロの小説家、名状しがたいオブジェクトをうまく言葉にし、世界観を文章で表現されていました。ただ、それは自分が既にゆめにっきの世界やキャラクターを把握しているからそう読み解けるのであって、本家を知らない人がこれを読んだら、はたして本家と近いものをイメージできるのかは、自分では確かめようがありません。
今回の動画は上記のことをふまえ、映像をつけました。
引用した部分に限らず、物語は常に夢の世界を進んでいく「あなた」を、少し離れた場所から淡々と観察する第三者の目線で語られていきます。あくまで主観は女の子(所謂”窓付き”)ではないことが小説版の特徴であり、これはまるで窓付きを動かして操作するゲームのプレイヤー自身の目線に近いものです。しかしゲームとは異なり自分で窓付きを動かすことはできず、でも窓付きが考えていることは手に取るように理解できる。物語の主観が非常に不思議で曖昧な立場にいることが分かります。この立場こそ、小説版の一番の肝にあたる部分です。この解釈はこれまで様々な考察を目にしてきましたが、見たことがない新しいものでした。
「夢」という言葉自体は前向きなイメージがありますが、ことゆめにっきについては非常に暗く不気味な意味を孕んでいます。小説版もそれは同じで、あくまで深層心理の表れとしての「夢」が舞台です。だから、綺麗な風景ばかりではありません。特に今回の動画で引用した第一部第七話の「日記帳」はそれが顕著に表れています。どろどろした欲望と、その奥にある暴力。幼い女の子の心理とはとても思えない醜い世界が垣間見えます。巨大な野獣が放つ不快な歯軋りは、抑え込もうとする理性と抵抗し爆発しようとする暴力の軋轢とも読み取れます。その醜い光景はまさに自分自身だと気が付いたとき、彼女は目を覚まし日記帳を書く。ゲームとしては行き止まりがゆえの一連の作業が、文章によってまた違う解釈を与えてくれるこの部分は小説版のなかでも特に好きで、巧みな表現がされています。だからこそこの部分を映像化したかったというのも動機の一つです。
長くなりましたが、「一つの解釈」としての小説版は非常に面白く、新しい内容であると僕は思っています。ファンたちに多くの痕跡を残したプロジェクトゆめにっきでしたが、個々のコンテンツは完成度が高く、結局のところ問題は運営にあったような気がします。ゆめにっきDDを率いるカドカワには、同じ轍を踏まないようにしてもらいたいところです。