■40年の歳月をかけて自然ろ過された金北山の美しい伏流水
酒を”造る”のではなく麹と酵母の活動を「助けて見守る」驕ることなき蔵人たちの酒
佐渡の表玄関である旧両津市に位置し、大佐渡山脈の山に抱かれた最高のロケーションで美酒を醸す「天領盃酒造」の蔵元をお招きしての日本酒会を開催いたします。
ちなみに、店主の実家から徒歩15分くらいのところで、町会が一緒です。
明治28年創業の柴田酒造をルーツとする天領盃酒造。その名の由来は、もちろん江戸時代に佐渡が幕府直轄地である「天領」だったことから。昭和58年に江戸中期創業の高橋酒造と合併した「佐渡銘醸」を経て、現在は「天領盃酒造」として良質な酒を醸しています。
業界では「日本で最初のコンピューター蔵」として知られ、機械制御による精密緻密さと人間の感性を併せ持った、クリーンかつクリエイティブな酒造りをモットーとしています。
佐渡最高峰の山、金北山(1172メートル)の雪解け水は、山中の「自然のろ過装置」を通って仕込水になるまでに、40年の歳月がかかると言われています。その歳月が、ろ過も滅菌もいらない、不純物のないとても綺麗な軟水を生み出します。
金北山から蔵までのエリアはのどかな山間で、商業施設も少なく、民家も数える程度しかありません。そのため敷地内でも蛍が飛び交うほど綺麗な水が蔵まで運ばれてくるのです。とてもやわらかな天然水は、米の旨味をしっかりと残した、まろやかで優しく包み込むような酒造りを可能にします。
■コンピューター蔵なの???? 天領盃の酒造りポリシー
酒造りに機械が導入されるようになったのは近代に入ってのことですが、その大きな理由は「人とお酒を守ること」でした。酒造りは手間隙・時間かかるだけでなく、酸欠や火事、転落事故など、時には死者が出ることもあるような、危険を伴う重労働。手作業と勘に頼った製造方法のため、醸造の失敗もしやすかったのです。
現在では、全国のほとんどの蔵で何かしらの機械やコンピューターが導入されていますが、セミ・オートメーションの域にまで到達した機械化の先陣を切ったのが天領盃酒造でした。一部の小仕込みのお酒を除き、キャリア40年のベテラン杜氏が作ったプログラムをベースにした、機械とコンピューターを駆使した酒造りが行われています。
コンピューター化から僅か17年の間に、全国新酒鑑評会での5年連続の金賞受賞(当時の新潟県酒造百数社中の連続受賞最高記録)、関東信越国税局鑑評会での6期連続優秀賞受賞、2000年開催の第12回国際酒祭り酒類審査会(ロンドン)にて大吟醸部門において世界第一位受賞、三越ブランド「四季膳処」への採用など、優れた実績を残しています。
コンピュータ化といっても、機械任せにして省力化するだけが目的ではありません。天領盃のモットーは「助けて見守る、安心安全な酒造り」。雑菌が繁殖する可能性のある、人間による手作業は極力排除し、米やもろみの状態をコンピューターを介して見守りながら、酵母や麹菌が美味しいお酒を醸してくれる環境を整え、見守り、必要に応じて手を差し伸べます。酒造りの主役は米、酵母、麹菌。人間はその手助けに徹する。それが天領盃のポリシーです。
クリーンルームも備えられており、人の口に入るものだからこそ、安心安全な美酒を醸すことに力を注いでいます。
このような高度な取り組みをする天領盃酒造は、近年の日本酒消費量の低迷もあり存亡の危機にありましたが、昨年新たに若きオーナーを迎えました。
都会っ子の帰国子女。海外経験が彼を日本酒に向かわせたといいます。日本酒を更に知ろうと飲み学び、醸造の世界に思い切って飛び込んだ若干26歳。おそらくは、全国で最年少の蔵元です。
蔵に泊まり込み、杜氏を始めとする蔵人と話し合い、良質でありながらもけして知名度が高いわけではない田舎の小さな酒蔵を世の中に広く知ってもらおうと、大忙しで取り組み中です。
日本酒情報サイト最大手である「SAKE TIMES」でのインタビューは、昨年末にリリースされた記事にも関わらず、2018年でもっとも読まれた人気記事ナンバーワンになりました。
◆理想を求めて酒蔵を買収した全国最年少蔵元!佐渡の天領盃酒造に変革をもたらす若い力
初めて酒造りに携わった今季は、これまでの天領盃とは味わいやコンセプトの異なる新ブランド「雅楽代」「THE REBIRTH」シリーズをリリース。蔵の跡取りやそれに準ずる技術者しか参加できない広島・酒類総合研究所での研修も受け、来季の酒造りの構想も大きく膨らんでいます。
そんな加登仙一社長にお話をお伺いしながら、天領盃のお酒をじっくり味わってください。
きたむら さやか(新潟県佐渡市出身/酒匠/利酒師/日本酒学講師)
10歳の時に母が他界するも、釣り好きの父やご近所の皆様に魚の捌き方や田舎の家庭料理を学び、家事をこなしながら育つ。1994年佐渡高校卒業。日本大学文理学部心理学科を経て、アントレプレナー大賞を受賞した社長に憧れてベンチャー企業に就職。チェーン店のスーパーバイザーとして勤務しながらチェーンオペレーションのノウハウやマネジメントを学ぶ。
その後、商売のゼネラリストを目指して他分野を学ぶべく、編集プロダクションに転職。企業プロモーションや社内広報に従事。
縁あって法人向け教育コンサルティング会社に移籍することとなり、店舗の現場のわかる教育企画者としてマニュアル構築・制作、研修企画に従事。
2009年、10年間のサラリーマン生活を卒業。リーマン・ショックの最中、都内にふるさと・佐渡を歌う飲食店がほぼないことに着目し、産直立ち飲み居酒屋「佐渡の酒と肴 だっちゃ」を開業。以来、「佐渡の私設アンテナショップ」の経営に専念。2013年に移転し現在に至る。