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【報告】トマス・カスリス教授講演会

2016.08.25 中島隆博, 川村覚文, 八幡さくら, 佐藤空, 金景彩, 李範根, 小林康夫, 高田康成

去る2016年7月21日、東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム2において、トマス・カスリス『インティマシーあるいはインテグリティー』(法政大学出版局)の出版記念イベントが開かれた。

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「≪間≫と≪integrity≫をめぐって」と題された本イベントでは、『インティマシーあるいはインテグリティー』の著者であるトマス・カスリス氏により、文化的差異が生み出される構造をめぐる講演が行われた。氏はまず、ゲシュタルトとしての文化と再帰性(recursivity)としての文化を区別し、後者、すなわち文化の再帰的性格への認識から、文化全体の形を決定づけるミクロの原理の存在を導き出す。氏は、文化的差異が根本的には、インティマシーとインテグリティーの差異に起因し、そのいずれが支配的であるかによって総体としての文化の形が決定されるとする。文化をインティマシーとインテグリティーというミクロの原理の反復によって形づくられたものと理解することで、文化と文化の間における理解の(不)可能性を図ることができるというのが、氏の文化的差異をめぐる中心的な考えである。

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インティマシーとインテグリティーは、人と人が関係を結ぶ方式に関わる区別である。インティマシーが支配的な文化において人々は、内的(internal)なつながりを持つ。したがってそのつながりが絶たれたときには、関係の中で共有していた部分がそれぞれの主体において損なわれる。一方でインテグリティーが支配的な文化では、人と人の関係は契約という外的(external)な形をとるため、関係の断絶は契約の解消以上の意味を持たない。このようなインティマシーとインテグリティーは、倫理、創造力、表現、美意識といった知のあり方全般に影響を与え、文化的差異を生む。例えば、インティマシーに由来する文化の中で人々は社会的・自然的関係に囲まれるため、集団内の攻撃性が抑制され、ストレスレベルが低い反面、内部の知を外部から批判することが許されず、システムが全体主義化する恐れがある。一方で、インテグリティーに由来する文化は、法的システムにおける権利への強い意識に基づき、観点、表現の多様性を認め、独立した主体を支持する傾向があるが、社会組織が脆弱化しやすく、極端な相対主義に陥る可能性がある。

講演の中でカスリス氏は、文化的差異に対するこのような理解が、個人的か、集団的か、あるいは合理的か非合理的かという図式を本質主義的に固定するためのものではなく、ある文化がいかに個人的、集団的になるのか、またいかなる形で合理的なのかを捉え、差異を認めたうえでの関係性の構築を試みるためのものであると強調した。

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講演のあとには、インティマシーと翻訳行為の関係性やインティマシーとインテグリティーの差異を捉える視点の超越性、インテグリティーにおける「直観(intuition)」の位置づけ、「(権)力」関係の問題などについて活発な議論が行われた。

文責:金景彩(東京大学大学院・UTCP)

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